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秋山塾ができるまで EP.01 勉強が嫌いだった小学生時代

秋山塾ってどんな塾?

それを本当に伝えるには、
私が自分の生い立ちから開業に至るまでの過程を、
包み隠さず知っていただくことが必須だと感じています。

なぜなら、この塾は
勉強に困り果て、受験に落ち、教師になることを辞めた私自身が
「こんな教育機関があれば人生が変わるのに」が詰まった教育現場だからです。
ぜひ、秋山塾の世界観を形成している塾長の物語をご覧ください。

第1回の今回は、小学校時代です。

お恥ずかしい話ですが、暴露します。
私は小学生のとき俗にいう「やんちゃな子」でした。
そして勉強ができない「落ちこぼれ」でした。

小学生の時、私は毎日のように先生に怒られていました。
やんちゃをして友達を傷つける度に、 親が折り菓子をもって謝りに行く姿を、今でも鮮明に覚えています。

「自分っていったいなんだろう? 存在価値を感じたい、認めてほしい。」

そんなことを、
幼いながら無意識に感じていたのかもしれません。

勉強はというと、
小学生のとき、私はテストでいつも50点ほどの点数でした。
しかし当時はそのことに問題意識を持つことはありませんでした。

両親が教師だったこともあってか、
習い事は積極的に行かされていましたが、
私にとって身になるものはありませんでした。

以下、私の習い事について3つの体験談です。

習い事について3つの体験談

❶ピアノ教室でピアノに触れることなく3週間で強制退会
私の初めての習い事が地元のピアノ教室でした。
小学3年生のある日突然、母親からピアノを習うことを告げられ、 泣きながら拒否しました。教室に入ってからも、泣きながらピアノを弾くことを拒否…。

行くたびに、教室の壁をよじ登るようになり、ピアノに一切触れませんでした。
3週間後、ピアノ教室の先生から「ピアノを弾く気がないんだったら辞めてください。」 と電話があり、辞めることになったのです。

❷プリントの山に潰される夢を見て、くもんを3週間で退会
小学5年生のある日、
突然、母親からくもんに通うことを告げられ、 教室に連れて行かれました。
当時やんちゃだった私は、地元のくもんではなく、友達のいない隣町のくもんへ通学することになりました。

同じサイズの紙を、やって丸つけ、やって丸つけ、やって丸つけ…。
最初はよかったんですが、途中から同じことの繰り返しに憂鬱さを感じるようになりました。

そして3週間がたったある日の夢で、
くもんのプリントが山積みになった部屋で勉強中、
山積みのプリントが崩れて押しつぶされて死ぬ夢を見ました。

翌朝、私は両親を前に泣きながらくもんをやめさせてくれと懇願しました。

❸月に2回しか行かない書道教室
私が最も長く続いた習い事は、書道でした。
小学5年生からの2年間、 通いました。

でも私、今でも字があまり綺麗ではありません。
実は月に4回あるはずの書道教室に、月に2回しか行ってなかったんです。
なぜ2回か、それはお月謝袋をもらう日と、お月謝袋を渡す日だけ行っていたからです。間の2日は倉庫に隠れて漫画を読んでいました。
行かなかった理由は、「正座で足が痺れて辛いから」です。

このように、私は生活で荒れ、勉強はまともに頑張れない、問題児でした。
何をやっても怒られる、何をやっても続かない、何をやっても成果が出ない、 そんな小学生時代を送りました。

小学6年生の3学期、私は父から
「お前の中学校入学のタイミングで 4 月から佐渡に引っ越す」
と告げられました。

なぜ引っ越すことになったのかの理由を聞いたところ、
「そのままの地元中学校に進んだら、泰宏 ( 私 ) はダメになる と思った。
 環境を変えて、リセットできればと、転勤先を佐渡にした。」
と聞かされました。

この父親の大胆な判断が、自分にとっては大きな人生の転機になりました。
次回、EP.2 では「人生のターニングポイントとなった中学時代」を書こうと思います。

EP.02 を読む →

ブログを書いた人
塾長 秋山泰宏
秋山塾 塾長の秋山です!
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