教室長 野澤って
どんな人なんだろう
どんな人生を歩んできたんだろう
と興味を持ってくれた人がいることを信じ
私の生い立ちを書いていきます。
興味のある方はじっくり読んでみてください。
興味のない方も、少しだけ読んでみてください。
教室長 野澤の生い立ち
1992年2月9日
福岡県大牟田市に生を受け
父の名前から一文字とって「和」
目標に向かって進んで欲しいという意味を込めて「志」
「和志」と名付けられました。
そう、実は九州男児なんです。
父親の転勤で5歳のとき
新潟県糸魚川市(旧青海町)
にお引っ越し
青海幼稚園
青海小学校
青海中学校
と、周りの友人たちとともに健やかに成長
非常に荒れた中学校だったので
健やかとは言い難い思い出ばかりですが・・・
小学生の頃は成績がよかったものの
中学に入ってからの成績は、せいぜい中の上
それでも地元の進学校
糸魚川高校へ進学
「毎日が楽しければいい」
「赤点がなけりゃ卒業できる」
こんな感じで2年がすぎました。
しかし!
受験生となり一念発起しました!
毎日猛勉強です!
1年間を勉強に捧げて
長岡技術科学大学
現役合格
よく私立と間違われますが
長岡技術科学大学
国立大学です。
目標を達成してしまった
大学で出会った友人や先輩は
皆壮大な夢を持っていました。
紙みたいな薄いテレビを作りたい。
劣化しないゴム素材を作りたい。
安価な半導体薄膜を作りたい。
などなど
中には
特許をとって悠々自適な生活を送る
なんて夢を描いていた奴もいました。
そんな彼らの
目標に対するストイックな姿
貪欲に知識を得ようとする姿
憧れたんです。
私も真似てみました。
できませんでした。
理由は明確
私には目標がなかった
大学に合格すること自体が目標になっていた
だから、
大学に入ってからの目標
がなかったんです。
その先のやりたいこと
「ヴィジョン」
が、定まっていませんでした。
今だからこそ、
先の目標やヴィジョンを
定める重要性を感じます。
当時、合格すら危うかった私には、
先を見据得る余裕はありませんでした。
彼女が私の人生を変えた。
私も彼女の人生を変えたはず。